
先日学生時代を過ごした静岡県へ行ってきた。
静岡の中でも、私が過ごしたのは三島市。
箱根の静岡側のふもとで、伊豆半島の付け根に位置する町だ。
規模の大きい街ではないが、
箱根や伊豆、隣の沼津市へもアクセスしやすく、
学生の気楽な身分と、もてあまし地味の時間を使って、
よく色々な場所へ出かけた。
なかでも思い出深いのは伊豆。
大小の漁師町と温泉地がひしめくためか、
他府県ナンバーの車とすれ違うことも多い。
中央部で山遊びを楽しめ、両端では海を楽しめるのも
人を呼び寄せる秘密なのだと思う。
だからのんびりした風景とは裏腹に、
道路は割と混んでいる。
しかし目的地に着き、エンジンを止めれば、
すぐさま穏やかな空気感に車内はみたされる。
透きとおった海。
気まぐれな高波にはしゃぐ子どもたちや、
肩を寄せ合うカップル。
そんな夏の風景のBGMは、波の音。
きどって書いているのではなく、
こういった風景がどこそこで見られるのが
伊豆だ。
現在住んでいる石川県には、能登半島がある。
しかし、なぜか遠い存在に感じる。
それがなぜなのかは、あまり書きたくない。
思い出の量の違いとでも言っておこうか。
いろいろな地方があって、人がいて、暮しがあって。
どこにいても同じような暮らしが叶う、今の日本だけれど、
それは同じようで、同じではないと思う。
その微細な違いが、暮しの色を形成しているのだと思う。
言葉のニュアンス、イントネーション、表情の作り方。
親子の関係、夫婦の関係。似ているようで、実は、地域によって違う。
何を言いたいのかと言うと、
「違う」ということを、拒絶せずに楽しめるかどうか。
それが大切だということ。
なかなか難しいことなのかもしれないのだけれど。
(編集部 H)




