
いつしか空を覆っていた雲が遠ざかった16日の朝。
その1日前の15日未明、窓の外から聞こえてくる雨音。
なかなか寝付けず、そして土砂降りの中、家をでました。
特別、何が目的というわけでもなく
ただ、ただあてもなく、なんとなく車を走らせました。
一人の車内でさまざまな思いを巡らせ、
ワイパーが動けど動けど雨に濡れたフロントガラスは
あたかもまとまらない考えと、その心中を見透かしたように
すぐに水しぶきに遮られてしまいます。
もともと一人で行動することの多い私は、
考えがまとまらないと遠くへ出かける――
そういう行動を数多く取った気がします。
なぜか、そうすることによって考えがまとまったり、
逆に小さなことを考えていたように思えたり。
一人で遠くへ出かけると、
「何しに行ったの」
そんな風に言われることもありますし、
稀有な目でみられることもありますが
これはこれで悪いものではないのです。
人と一緒だと見逃すものを目に留めることができたり、
道すがら変わり往く風景を目に焼きつけたり、
ちょっと川べりへ下りて川の流れを眺めたり。
「何となく」
そういう、一種のファジーな考え、
ある種の遊び心がどこかで余裕に繋がる、
そんなことはないでしょうか。
明確な理由付けが必要なことも多々ありますし、
それが動機となって行動することも、ままあります。
しかし、これが今回のような旅ではなくても、
ふとした日常で、何かをするのに明確な意識が必要でしょうか。
例えば、ご飯を食べるのに「食べなきゃ死ぬから食べる」、
そんなことを思って食べることは少ないのではないでしょうか。
「お腹が空いたから食べる」ことが圧倒的ではないでしょうか。
日常で人が動くのにいちいち理由が必要だとすれば
私にとってはそれで充分、そんな風に私は思います。
捉え方を間違われると何も考えずに
適当に動いているようではありますが、
決してそういうわけではないんですよね。
土砂降りの雨が霧雨へと変化し、次の明け方には
いつしか長野県から山梨、静岡へと移動した私がいました。
真っ暗だった視界は曇天の空へと変わりゆき、
いつしか光が差してきました。
※深く考えずに長距離の移動をしたため、
帰り道は多少、シンドイ思いをしたのは秘密です
(管理人H)




